2014年04月25日

第121話 道標

3月31日に死去した父の通夜及び葬儀に参列して

下さった皆様方、誠にありがとうございました。


この場をお借りしてお礼申し上げますm(__)m



賑やかな所が好きな父だったので、多くの皆様方

に御参列頂けたこと家族共々感謝しております。




父は重度の糖尿病から、人工透析を10年間程

しておりました。最近では、体のあらゆる所が

弱まってきており31日に突然、合併症による

病気で他界致しました。62歳でした…




若い時から元気が有りすぎるぐらい活発で、暴飲

暴食、喫煙はもちろん自己中のわがまま頑固者。


そして、うちら子供には厳しくイタズラをしたら

竹刀で叩かれる事もよくありましたね(^_^;)




僕自身は幼い頃、そんな父親が大嫌いでした。





スポーツの出来る兄と勉強の出来る妹に挟まれて

何の取り柄もない自分は常に比較されてました。



「何をしてもお前は駄目だ!」と言われ続け…



おまけに、小児喘息やアトピーなど患い体も弱く

落ち着きも無く、交通事故で死にそうになった事

もあったりで迷惑ばかりかけていましたし…(._.)



喘息の発作で苦しんでいた時、看病してくれてた

母親に対し、病気の事は何も分からない父親は

「仮病だから甘やかすな!!」と母を激怒し一度も

父からは病院に連れて貰った記憶がありません。



だから、幼いながらに好きになれなかったです。




僕はいつしか父を反面教師として見ていました。





そんな父が初めて誉めてくれたのは、小学校四年

の時、剣道大会の個人戦で準優勝した時でした。


初めての入賞に父はニヤニヤしながら嬉しそうに

「よく頑張った!」と誉めてくれました。僕は

子供ながらにすごく嬉しかった事を覚えてます。




それから、もっと頑張ればもっと誉めて貰える

駄目だと言われ続けた自分をもっと認めて欲しい

と思い、剣道だけは一心不乱に頑張りました。



そして、幾度となく個人優勝を成し遂げる度に

あまり口には出さなかったのですが、誇らしげに

嬉しそうにしていた父の顔を今でも忘れません。





今思えば、父に認めて貰いたい一心で部活も勉強

も必死で頑張っていたのかもしれませんね…



貶して叱って怒り狂って…そしてたまに誉めて…



気が付けばそれで精神的にも成長出来、さらに

病気にも負けない体力を身に付けていたのかも…



不器用な父らしい教育のやり方だったのかな…






大人になり、嫌いな感情は薄れていきましたが

二人で酒を交わすことも無く、少し距離をおいて

おりました。また家業である農業には無関心で、

僕はそれなりに社会人として働いていました。




それが後継者として家業を継ぐきっかけになった

のは父の糖尿病が悪化し、透析を始めてしばらく

して殆んど仕事が出来なくなっていたからです。



別に父の為に就農したという理由より、小さな

体で一人頑張っていた母の姿が可哀想に見え、

また農場には設備もあるし借金もある…と最初は

そんな理由で何となく継ぐ事を決めてました。





僕が母と二人で農業をするようになって、父親は

殆んど現場に出ず口で指図する日々…。確かに、

指導して貰いたい所はたくさんあったのですが、

命令される事が嫌でイライラする日常…ケンカも

しました。僕は「親父はいない方がいい」と思っ

てました…変なプライドがあったのでしょう(--;)




けれど今考えると、教えて貰いたかった事はまだ

まだ多くあったはずなのに…。父の方も家族一緒

に仕事がやりたかったのだろう…と思いました。




自分達には理解出来なかった透析での体のキツ

さ、精神的な辛さ…もっと父との距離を縮めて

歩み寄れとけば良かったと思いました…




死なんてまだ先の事なんだと思ってましたから…





亡くなる寸前まで普段通りの会話をしてたのに、

突然の事で実感がありませんでしたが4月2日の

葬儀終了後、火葬場にてその身体が無くなった時

ようやく父親がいなくなった事を実感しました。




そしてその瞬間、涙が溢れ何とも言えないほど

辛く切なくなり、また悲しい気持ちなりました…




生前、意地や照れやプライドが邪魔して素直に

語り合え無かった事を大変後悔しました…





父親とは37年間の付き合いでしたが、良い所も

悪い所も全てを今後自分の人生に活かせるよう、

また父の歩んだ道、残してくれたものを道標と

して家族皆で前に進んでいきたいと思います。







親父、


これまで素直に言えなかったけど、親父の存在は

本当に絶大だったと思うよ。親父無しではうちら

家族は存在してなかったから。感謝してます。




俺はこれからもっともっとデカイ人間になるよ。




だから母ちゃんの事、農場の事、家族の事、何も

心配せんで良いからこっちの事は任せて。今まで

長年痛さと戦っていたんだからゆっくり休んで。



そっちではもう、じいちゃんと会えたかな?

仲良く酒でも飲みながら見守ってて下さい。



今まで、本当に本当にありがとうございました。


posted by kouji at 12:35| 鹿児島 ☀| Comment(4) | ブログ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年03月21日

第120話 行政機関の手腕

昨年の暮れぐらいから、ここ鹿屋市でも爆発的に

広がったPED(豚流行性下痢)・・・(;´Д`)

残念な事に多くの子豚が死んだそうです。


幸いにも、うちの豚からは感染は見られません

でしたが周囲の農場では被害があったそうです。




今現在、鹿屋市にある農場からは感染報告も無く

終息方向へと向かいつつあるようですが…(--;)


しかし、薩摩半島方面や宮崎県に至っては更なる

感染の広がりを見せてるみたいですね…



いわゆる第2のピークってやつです…(;´Д`)





さてさて、気分を変えましてー。そんな病気にも

負けず、立派に生き抜いてきた元気な子豚達が

先日360頭、我が農場に導入されました(*^^*)











せっかく憎らしい病気にも打ち勝ってきた子豚達

なので、これからも管理を徹底して約3ヶ月先の

出荷まで元気に育てたいと思います(* ̄∇ ̄)ノ





それしても、いつ終息宣言が発令されるか…



現場では農家も役所も関係企業も、高い緊張感を

いつまで保ち続ける事は不可能の近い…しかし、

気が緩むとまたいつ再発するか分からない…(--;)



通常の農場業務でも防疫対策は行っております

がこの高い緊張感からは早く免れたいものです。




保健所をはじめ、行政機関にはさまざまな事を

考慮した上で、くれぐれも現場を最優先した形の

最善な指揮&判断を期待します。m(._.)m





重ねて言うと、現在子牛の価格が高騰を続けて

おり我々生産の農家からしてみれば大変有り難い

事です(*^ー^)ノ♪…… なんですが…(--;)逆に

購買者の負担がかなり大きいものと思われます。



生産農家もこの高騰価格に「しばらくは安泰だ」

と思う呑気な農家と「牛業界の危機の始まりだ」

と先を見る農家と2つに分かれると思います(-_-;


前者がいつまでも続けば良いのですが、浮き沈み

が激しいこの業界、購買者の負担を考えると我々

は後者な考えで準備をしなければと思いますね…



そして何より農協を始め、市、あるいは県、国

レベルでの購買者への支援策など先を見据えた

思いきりのある対策を願いたいものですね(^o^;


まぁ、行政手腕は農業に限らず…ですけど(-_-;)



posted by kouji at 20:29| 鹿児島 | Comment(0) | ブログ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年03月18日

第119話 後悔を糧に

3月も早中旬。長く感じたバカ寒い冬も終り、

そろそろ春到来ですかね〜♪( ´∀`)/~~



春になると気持ちも一転して、何をするにしても

スタートに新鮮さを感じます。(自分だけかな…)



また、人は過去の失敗を教訓にしながら前進して

いくもの。まぁ…自分の場合、あの時あ〜しとけ

ば〜…なんて、しょっちゅう…(--;)振り返り反省

ばかりです。日々学習あるのみですね(;´∀`)





話は変わりまして、この季節3月は牛の出産が重

なります。最近では上旬に福子(母牛名)がオスを





そして本日深夜0時過ぎに幸子(母牛名)がメスを






この幸子に関しては、今回が8産目でしたが過去

辛い出産経験がありました。それは、8年前の第

1産目(初産)が失敗した事です。死産でした(T-T)


当時僕はまだ就農しておらず、たまに手伝いする

ぐらいでしたが、この初産は忘れもしません。

〜〜〜…〜〜〜…〜〜〜…〜〜〜…〜〜〜…




陣痛が来たのが深夜。農場には母と僕しかおらず

幸子の異変を感じた母は、獣医さんに連絡するも

深夜という理由で来てくれない。僕もよく牛の事

が分からない時で、睡魔が襲ってきた理由で母を

一人農場に残し僕は帰宅してしまいました。




次の朝、農場に行ってみると放心状態の母の足元

には動かない生まれたての子牛が…



すでに死んでいました(ToT)



母は一人で幸子から子牛を引っ張りだそうとした

みたいですが、女一人の力では無理があったのか

取り出すのに時間が掛かりすぎて死亡したとか…



あの時、帰宅せず二人で素早く子牛を引き出せて

いれば子牛は死なずにすんだのかもしれない…



決定的な死亡原因は分かりませんが、あの時の事

は本当に後悔しております。産んだはずの子牛が

死んだ事も分からず、ずっと子牛を探しながら

泣いていた幸子を今でも忘れません( TДT)





それから幸子は毎年元気な子牛を産んでくれまし

た。本日8産目の出産も難産でしたが、みんなで

引っ張り出して無事出産しました。感謝(*^^*)♪



これからこの幸子が、あと何頭出産出来るか分か

らないのですが、あの時の辛く悲しい経験を糧に

日々の仕事を一生懸命取り組みたいと思います。





幸ちゃん!!今回も元気な子牛を産んでくれて

ありがとう♪これからの出産もずっと側にいる

から共に頑張っていこうなぁ〜(^o^ゞ

posted by kouji at 01:53| 鹿児島 ☁| Comment(0) | ブログ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年02月27日

第118話 進化と発展

2月もあっというまに終了〜(^.^)ノ早いですね…

まぁ〜日数も少ないし尚更早く感じました(^_^;)



今月は、仕出し業のfarmーkitchenがオープンし

何かとバタバタ忙しくさせて頂きました(*^.^*)



また、祭りや食育フェスタ等の軽トラ直販にて

新鮮野菜&farmkitchenの地産地消弁当を販売し

とても充実した1ヶ月となりました\(^o^)/










新事業のfarmーkitchenにおいては、早速地元の

ラジオ番組にて取材を受け、さい先良いスタート

になったかな〜♪…p(^-^)q頑張ろう〜!!





農業は食産業の川上の位置にあり、これまでは

生産事業に専念するだけで良かったのかもしれま

せん。しかし、個人農家の進化と発展を考えたら

やはり一歩でも二歩でも、踏み込んだ取り組みが

必要になってくるんじゃないかと思いますね…




たかくまファームが考える「農〜商〜食」の

取り組みは、農家だからこそ出来る事を「強み」

に変えて魅力発信していける様に、今後も軸を

曲げず頑張っていきたいと思います( ̄∇ ̄*)ゞ



posted by kouji at 23:18| 鹿児島 ☁| Comment(0) | ブログ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年02月16日

第117話 「食」への挑戦

農業生産から、加工販売までの流れにプラスして

調理提供までを目指すイチ農家、農〜商〜食の

たかくまファームが新たな事業への挑戦です(^^)



先月、厨房(加工場)施設を完成させ数々の手続き

を済ませた後、営業可能になった小さな弁当屋!!



その名も「farmkitchen〜ファームキッチン」!!!




これまで、畜産を主とした農業生産事業に加え

販売を推進・強化する「商」中心の軽トラ直売、

これに地元食材を使用し調理提供する仕出し屋を

今回スタートすることになりました\(^o^)/



そして本日、地元の伝統ある行事「鉤引き祭り」

で早速、地産地消お弁当を販売致しました(^∇^)
















お弁当は早い段階で完売しました♪新鮮野菜も

いつも通り好調!今回もお買い上げ頂きました

お客さま本当にありがとうございましたm(__)m




ちなみにですが、来週の日曜日23日に行われる

イベント鹿屋市食育ランドでも地産地消弁当&

新鮮野菜を軽トラ市にて販売致しますよー(^o^)


場所は、鹿屋市中央公民館(北田町)です。是非

遊びに来て下さいね〜♪お待ちしております☆




これからも「農〜商〜食」の一貫した取り組み

を農の可能性として魅力に繋げ、一次産業を主と

するこの町の活性化に貢献出来たらと思います。



「食」の新事業お弁当屋の「farm kitchen」を

今後とも宜しくお願いします。m(__)m
posted by kouji at 19:09| 鹿児島 | Comment(0) | お知らせ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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